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戌年によせて

 新年あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。
 今年は戌年なので、犬にまつわるエッセイを書いてみました。


 今年我が家の年賀状に初めて写真を利用してみた。実は所謂「写真年賀状」というものにぼくは元々違和感を抱いており、結婚後25年が経過した今まで一度も利用することがなかった。その理由については2015年1月23日のエッセイ「写真年賀状」に書いたので、興味のある向きはご一読願いたい。かいつまんでその要点のみ再掲すると、「写真年賀状」が幸せの押し売りとでも言うべきか、やや押しつけのような印象を与える存在としてぼくには見えてしまうからである。それでも今年敢えて写真年賀状に拘ったのは、今年が戌年であり、愛犬家をもって自認するぼくとしては我が家のアイドル達をこの機会にぜひ紹介したいというおもいに抗し難かったからである。特に今年9歳を迎えるラブラドールレトリーバーの“めい”はこれが年賀状デビューをする最初で最後の機会であり、6歳になるジャックラッセルテリアの“ラッキー”と共にご登場願った次第である。
 子供のころから犬が大好きであった。幾度も犬を飼いたいと父にせがんだが、父は首を縦に振ることがなかった。今から思えば、犬を飼うということは毎日の散歩から食事、保清や健康管理など困難の連続で、堪え性の無い子供のぼくにそれらを担うことはとても無理だと、かつて自らが犬の世話をした経験から父は解っていたのであろう。それでも諦めきれずにいるぼくに父はある時大きな犬の縫いぐるみを買ってきた。子供だましと憤慨したが、それでもその縫いぐるみの犬はぼくにとって大切な相棒となり、小学生の間ベッドの枕元に必ず鎮座していた。悲しいことや不安なことがあるとその縫いぐるみを抱きしめたり、撫でたりすることで不思議に心が落ち着いたものである。余談だがペット(pet)という英語は動詞で撫でる、愛撫するという意味で、犬に限らず愛撫する対象を広くペットと呼ぶのだとおもう。とすると、撫でるという行為が人にとって何か大切な意味があるはずだ。このことに関しては後ほど触れてみたい。
 時は流れ、結婚して家庭を築き、賃貸住居生活に終止符を打った頃、我が家に犬を迎える話が持ち上がった。認知症が進んだ義母をお願いしていたグループホームのスタッフにラブラドールレトリーバーをつがいで飼育しておられる方が居て、彼らの元に仔犬が10頭生まれたというのである。そのうちの一頭を是非にということで、話はとんとん拍子に進んでいった。グループホームに初めて仔犬たちを観に出かけた時、相棒の後ろをいつまでもトコトコと追いかけてくる不細工な顔をした一頭が居て、その仔を相棒が見初めて連れ帰ったのが“めい”である。その後暫くは大変な日々であった。この世も終わりかとおもうような悲痛な声で泣き叫び、深夜にケージの中で暴れまくり、根負けして様子を窺うとウンチまみれでパニックになっていたことなど、今も懐かしく思い出す。ちょうど更年期障害で苦しんでいたときだったので、睡眠不足も手伝って相棒の機嫌はすこぶる悪くなり、加えて子供たちも思春期真っ盛り、「わたしが面倒を看る」と豪語した娘は結局何もしないという、ペットを飼う際の家庭によくありがちな展開であった。“めい”の歯が生え変わるときにはむず痒いのか、気に入っていた木製のテーブルや箪笥を見境なく齧り、あるいは床板を掘り返し、新築の家は見る見るうちに傷物と化していった。それでも半年ほど経過するとだいぶ落ち着いてきて、ぼくは“めい”を連れてあちこち散歩を始めた。ラブラドールレトリーバーは大型犬故、この頃から急速に身体が大きくなり、旺盛な好奇心も手伝ってか、右往左往、それは大変な散歩であった。それでも四苦八苦しながらの散歩中、他の犬を連れた飼い主さんたちと徐々に顔見知りとなり、所謂”犬友“が現在に至るまでずいぶんとたくさんできた。最近はどの地域でもご近所付き合いが昔ほど活発でない中、犬友ネットワークでの情報交換は結構楽しいもので、壊れつつある地域社会の再構築に犬友は一役買うのではなどと最近まじめに考えているのである。
 2011年3月のあの日、頻繁にわたる余震で目が覚めた夜中、“めい”が寝床の足元にじっと座っていることに気づいた。ぼくら夫婦の寝室には上がってこないことをルールとしていたのだが、そのとき“めい”の目には明らかな恐怖と懇願が宿っていた。以来彼女はずっとぼくらと一緒に眠っている。犬と一緒に眠るなど信じられぬと眉を顰める方も多いであろう。人獣共通感染症の心配を持ち出すまでもなく、寝具も汚れるし、もちろん積極的にお勧めはできない。しかし一度でも犬を抱いて眠りについたことのある方には、その魅力を理解できるのではとおもう。その暖かさは湯たんぽのごとくであるし、安らかな寝息は安心をもたらす。寝言も言えば、イビキもかく、おならもする。夢の中で走り回っているのか、四肢を盛んに動かし寝返りを打ち、全く人間と同じである。親友を亡くして涙がこぼれたときには、“めい”がぼくの傍に寄り添って、頬を伝う涙を舐めてくれたこともあった。そんなこんなで、子供の巣立ったぼくら夫婦にとって今や犬たちは無くてはならない、まごうことなき家族の一員なのだ。
 犬を飼うと飼い主の寿命が延びる、心臓病が減るなどの結論を出す論文が最近は散見される。その最も解りやすい理由としては、犬の散歩で得られる豊富な運動量が挙げられるであろう。ぼくも犬たちを迎えてから、よほどの悪天候でもない限り、必ず朝に1時間弱、距離にして最低3キロは散歩している。月間100キロ、年間だと昨年は1200キロを超えた。ウォーキングを趣味にしておられる方は多いとおもうが、日ごろの診療でよく聞くのは、「最近は寒いし、暗いので歩いていません。」とのお話である。犬を飼っていると、そういうわけには行かない。寒かろうが、雨が降っていようが彼らは散歩をせがむ。じっと見つめてくるつぶらな瞳を見ているとつい情に絆されて、否が応でも歩き出すのである。今まで何度も書いてきたことだが、天候を理由にしてしまうと運動は継続しない。寒ければ一枚多く着込み、雨や雪が降ればカッパを着、傘を差し、暗ければヘッドランプや懐中電灯を携えれば良いだけのお話である。
 犬を飼うことが寿命を延ばす可能性に関する第二の説明は、犬を撫でること、犬と見つめあうことで「抗ストレスホルモン」や「愛情ホルモン」とも呼ばれるオキシトシンの分泌が亢進するからとする説である。「撫でる」という行為が心を落ち着かせる理由はどうやらここにありそうだ。オキシトシンは脳の視床下部という部位から分泌されるホルモンで、子宮筋収縮や乳汁分泌に関わるが、最近は中枢神経系で働く神経伝達物質として注目されている。特に自閉症スペクトラムや学習障害を抱える人たちへの点鼻投与によって、落ち着きや対人コミュニケーションの改善が得られたとする報告が相次いでいる。
 さらに三つ目の説明はもっと面白い。犬と適度のスキンシップを持つ結果、飼い主は常にある種の細菌感染に曝され、そのことが免疫力強化に繋がっているのではというものだ。実際にペットや家畜と共に育った子供たちには花粉症などのアレルギーが少ないとの報告もある。更に最近では様々な疾患と我々の腸内細菌との関連性が明らかとなりつつあるが、犬と暮らす人の腸内細菌叢はそうでない人のものと違いがあるとの説があり、これからも目が離せない。もしかしたら我々ヒトが健康に暮らす上で、犬や腸内細菌をも含めた“他者”との共生が大切な因子なのかもしれない。
 犬と暮らすメリットばかりを挙げてきたが、もちろんデメリットもあるであろう。室内で飼う場合、彼らの抜け毛は大きなストレスだ。頻回に掃除をしても限界があり、部屋の隅々にはすぐに毛だまりが出来る。わが身に付いた彼らの抜け毛は、犬アレルギーを持つ人にとって凶器ともなろう。
 犬を可愛がることも度を超すと犬への精神的依存が高まり、犬の死後に深い鬱、所謂ペットロスで苦しむこともよくある話だ。生きとし生けるものには必ず死が訪れるのであって、命は有限であるが故に愛しいのだと常に心得るべきである。いつか必ず訪れる“別れ”をしっかりと受け止める強さと覚悟が飼い主には求められる。
 犬を飼いたくても諸々の事情で断念せざるを得ない場合もあるだろう。賃貸住宅では難しいケースが多いし、何よりも犬を飼うにもお金がかかる。経済的に余裕のない人も多かろう。でも、今あなたが吸っているたばこを止め、お酒を控え、ゲームやアプリに支払っている費用を回せばどうだろうか。きっと犬を迎える費用は賄えるとおもう。自分の年齢も大きな問題だ。現在犬の寿命は年々伸びており、小型犬では16~17歳、大型犬でも10数歳まで生きることが珍しくない。となると、どうしても飼い主は自分の年齢を考慮してしまう。ぼくも還暦を過ぎたら、運動量の多い犬種を仔犬から育てることにはためらいを感ずるとおもう。だからもし次に犬を迎えることがあるとしたら、その時は動物愛護センターに保護されている犬、あるいは盲導犬協会で斡旋しているリタイア犬やキャリアチェンジ犬をもらい受けることにしようと決めている。
 それにつけても犬を飼うことで我々の寿命が延び、心臓病が減るのであれば、それを医療に利用しない手はないようにおもう。アニマルセラピーの効果は実証されているが、病院内に犬が闊歩することへの抵抗、障壁はまだ強い。その障壁を打ち破る一つの可能性として、人工知能を搭載したロボットが挙げられる。以前(2016年6月25日)このコラムでも紹介した赤ちゃんロボット「スマイビ」の他、認知症介護の現場では最近「パロ」が活躍し始めている。「パロ」はタテゴトアザラシの赤ちゃんをモデルに開発されたセラピーロボットで、アニマルセラピーと同様の効果を期待できるとして、米国ではすでに医療機器として承認されている。そして満を持して登場したのが、「アイボ」である。ホームページで見る限り、「アイボ」は犬の可愛いしぐさを忠実に再現している様子だ。撫でれば鼻を鳴らしたり目を瞑ったり、本物の犬にかなり近いようだ。「アイボ」が広く普及すれば、これから激増する認知症や高齢者のうつ病に対する副作用の無い有効治療手段の一つになりうるかもしれない。
 でも「アイボ」はきっと暖かくない。もちろん抜け毛も無ければ、臭いも無いのであろう。本物の犬は暖かく、そして臭う。それは決して嫌な臭いではなく、“生きものの臭い”である。この臭いがぼくは大好きだ。“めい”を抱きしめて彼女の臭いを堪能すると、一日の疲れもストレスも癒される気がする。おそらく、この“臭い”によっても件のオキシトシンが分泌されるのではと密かに考えているのだが、今のところそのような論文発表は無いようだ。
 長いエッセイになってしまった。先ほどから“めい”はそわそわしている。そろそろお散歩の時間だね。ポケットの中に好物のビスケットを忍ばせて、さあ出発だ。